2021年06月30日

「独断力 他人の言うことは聞かない方がうまくいく」発売のお知らせ

新刊発売のお知らせです。
独断力 他人の言うことは聞かない方がうまくいく - 午堂登紀雄
独断力 他人の言うことは聞かない方がうまくいく - 午堂登紀雄

独断力とはその名の通り、「独力で決断する力」のことです。
それが個性や自分らしい価値を出すことにつながります。

個性とは、誰かに教えてもらわなくても、自分の中から自然に湧き上がってくるもの。
創造性は、誰かに指示・命令されることなく、自由な環境の中で自発的に発現するもの。
それらを発揮するには、自分の価値観・自分の判断軸で決断する経験を積み重ねる「独断力」を獲得することです。

独断力がない、つまりつねに他人に相談したり他人から指示を受けないと動けない人は、他人の価値観の中で生き、他人の価値観に振り回される存在でしかありません。
他人の意見を聞いてからでないと決められないという人は、つねに他人のうしろを歩く人生になります。

もちろん、他者の意見を参考にすることもありますし、自分よりももっと優れた着想に出会うこともある。
それらを取り入れることも必要で、それ自体を否定するものではありません。

あるいは、本当に迷ったときは専門家に聞けばいい。
その専門家も、「自分で情報を集めるには効率が悪すぎる」「自分だけで判断するにはリスクが高すぎる」ことに限定することです。

たとえば法律や税金などは、自分で調べて理解して使えるレベルにするには手間も時間も膨大にかかり、現実的ではありません。
また、中途半端で浅い知識による判断は、法律に抵触したり、健康を損なったりする可能性があるなどリスクが高い。
だから医師や弁護士や税理士といったその道のプロにお金を払って相談するほうが合理的です。

しかしそうした情報を取り入れつつ、自分の信念や価値観で導き出した答えは、他人の価値観が入り込んでいない、自分だけのオリジナルです。
本書では、自分にとってつねに合理的な判断・決断ができる、「独断力」を身につけるにはどうすればよいのかという点にフォーカスし、著者自身の経験を例に解説します。

『独断力〜他人の言うことは聞かない方がうまくいく〜』
https://www.amazon.co.jp/dp/4074486709/


■有料メールマガジン

まぐまぐ大賞2019のMONEYVOICE部門で9位をいただきました!

「午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門」
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現在進行形で取り組んでいるビジネス・投資・コスト削減策などの活動状況とその成果を紹介しています。
今後発売する新刊の原稿も先んじて全文公開しており、私の著作すべてをこのメルマガで読むことができます。
また、新刊をプレゼントする特典もついています。
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2021年05月14日

勝手にコンサル 「志摩スペイン村」編

GW最終日は岐阜で土地の売買契約があったので、四国との中間ということで、途中で伊勢神宮に参拝し、志摩スペイン村に行ってきました。

三重県はまん延防止措置の最中ということと、当日は雨模様だったこともあるのでしょうが、驚くほどガラガラでした。

広大な駐車場には車が30台ほど?
園内も人はまばらで、アトラクションは行列どころか閑古鳥。
ジェットコースターも客が1組で走らせる状況。
なのに丁寧にアナウンスするスタッフがむしろ気の毒な感じだ。。。

広大なレストランにも客が1組2組ほどで、私たちが入ったレストランも1,000人は収容できそうな大きさなのに、客はウチらだけ。

とにかくほぼ貸し切り状態。
年間で最も人が多いはずのGWにこれは。。

アトラクションも設備もお金がかかっていそうで、ほとんどは量産品ではなく特注のワンオフ工事でしょうから、どれも結構なお値段がしそう。。
しかしこれではとても回収できそうもありません。

私は「もし自分が経営者だったら?」と考えるのが習慣になっていて、もし自分がこのテーマパークの経営者なら、悲惨すぎて目を覆いたくなると思いました。
というか、もう泣きたいですね、これは。。


・何が問題なのか?

確かにお金をかけているのでしょうが、いかんせんスペインを想起させるストーリー性がまったく感じられないアトラクションばかり。
スペインの何を伝えたくて何を表現しているのかよくわからない。

そもそも日本人にスペインへの馴染みがなく、イメージも豊富に持ってはいない。
スペインに対するこれといった憧れも、「これこそがザ・スペインだ」という特徴もない。
だからぼんやりしてしまうのでしょう。

レストランの料理もパエリアが多いのですが、子どもが好みそうもなく、家族連れにはしんどい。
というか、子どもが食べたがるものがない。(うちの子はラーメンやうどんが好物・笑)
味も至って普通。

さらにお酒やつまみのメニューが貧弱過ぎて、これではお父さんが満足できないずです。私も不満でした。
歩き回って疲れたら、やっぱ飲みたいよねえ。。

なのに入場パスポート料金は結構なお値段。

一度来たらもうおしまいで二度とは来ないな、という印象です。
子どもも、小学生低学年まではともかく、高学年以上になればつまらないと思います。

天気が晴れでも、コロナがなくても、これではやっていけないでしょう。

たとえば東京ドイツ村は、花畑・イルミネーション・テレビ番組ロケ地などで活路を見出しています。
それでも東京圏という大市場に近接しているので、ディズニーランドという強大な競合があったもそこそこ人が来るわけですが、志摩は名古屋からも大阪からも結構な距離があり、よほどの魅力がないと人が来ない。
ハウステンボスもHISが引き受けて改善しましたね。

志摩スペイン村は、このままでは早晩、廃業に追い込まれるような気がします。
GWにあの客数では、平日や普段の週末は推して知るべし。
いつまでも耐えられない。

などと好き放題書いていますが、もし志摩スペイン村のファンや関係者の人が読んでおられましたら、すみません、お気を悪くなさらないでください。

誹謗中傷するつもりはまったくなく、私の勝手な感想なので、適当にスルーお願いします。


で、もし私が経営再建を依頼されたらどうするかを考えてみました。

まずはこれまでの経緯のヒアリングと、現場の意見を聞いて回るのが最初の仕事になると思います。

いきなり上からの改革では、現場はやらされ感で「やってらんねー」となりますから。

スタッたちも問題意識ややりたいことがあり、モチベーションの妨げになっている不満などもあるはず。
だからまずはそういう意見やアイデアを引き出す。

また、債務も残っているでしょうから、当然ながら融資している銀行などとの協議が必要と思います。

そして、コストカットと集客を同時にやっていく。
たとえばこんな感じ。


・入場無料

そもそもアトラクションがつまらないので、割高な印象があるパスポート料金がハードルになっています。
私も、「えっ、こんな値段するの?」と驚きました。

そこで、もはや「巨大な公園」として割り切り、入場無料にして無料開放する。
家族連れもカップルも愛犬家も誰でもウェルカム。

アトラクションは別料金。
パスポートにすると、「全部乗ろう」となって人気度がわからないので、チケット制にしてもいいかもしれない。
それでアトラクションごとにお金をとれば、人気のあるなしがモロに出ますから、人を集められるアトラクションに集中し、集められないところは廃止・撤去するか放置する。

実際、ただの街並みを再現しただけの通りには、これ以上お金をかけても仕方がないと感じました。
そこを通っても「ふう〜ん」で終わり、つまらなかったです。

むろん、改修して魅力的なアトラクションにできる可能性がありますが、改修費の方が高額になってコスト的にペイしなさそうな感じです。


・スペインに固執しない

フラメンコは子どもは興味がないし、ステージでのミュージカルも観ましたが、いったい何を表現しているのかよくわからない。

夜のパレードも写真から想像するに、チープで子どもだましの印象があるので、いったんやめる。
(私が行った当日は雨天のため中止だったため、未経験です)

コストがかかる割に中途半端感が出やすい花火などもやめる。

ディズニーのように知名度があるキャラクターが出るわけでもなく、ねぶた祭りなどのような熱気があるものでもないでしょう。
すると、「何かが通ってる」くらいのインパクトしかなく、客を呼べない。

しかし、だからといってダンサーを解雇するわけにはいかない。

そこでスペインにこだわらず、もっと有名な楽曲や流行の作品を使ったダンスミュージカルの方が、大人も子どもも、家族連れもカップルも楽しめると思います。

いまならたとえば鬼滅の刃とかるろうに剣心とか進撃の巨人とか?笑
たとえば昨年の紅白でLisaさんが歌った「紅蓮華」「炎」のリミックスでダンスミュージカルをすれば、子どもたちも大喜びするはずです。

進撃の巨人の「紅蓮の弓矢」も、多くの中高生が立体起動装置の真似をして動画をYou Tubeにアップしていましたから、そういうのはウケると思います。

振付は外注に出さず、現場のダンサーたちに考えてもらおう。
コスト削減には内製です。

90年代ポップスを使えば、30代後半から40代のパパママが喜ぶ。

料理も、もっと子ども向けメニューを充実させる。
歩きながら食べられるスナックフードがあってもいい。
あとで述べるナイトパーク化に対応し、お酒とつまみのメニューを充実させる。


・光と音楽と映像のナイトパークへ

一方、素晴らしいのは入り口近くの建物、噴水池といった風景です。
これらは良くできている。

なのに、夜のイルミネーションによる演出は多少はやっているようですが、規模が小さく中途半端。
これでは話題にもならないし、感動も薄い。

そこでもっと大胆に、音楽に合わせて建物にプロジェクションマッピングをするとか。
建物は立派なので、ここにプロジェクションマッピングを投影し、大音響サラウンドでポップスやオーケストラ音楽に合わせると、かなりの迫力になると思います。

これも最初だけは外注に出したとしても、それはスタッフの研修・訓練を兼ね、以降は内製できるようにする。

それとテーマパークで不満なのが、「音響の貧弱さ」です。
これはUSJでもディズニーランドでも同じく、たぶん聴覚過敏や幼児等にも配慮しているのだと思いますが、パンチがない音響は感動も没入感も薄い。

私は音響にはうるさい方で、以前も車の中で5.1chサラウンドを自分で組み、ウーファーもパワーアンプで増幅して映画館のように改造したことがあるくらいです。
過去にもJBLとか、今乗っている車もDIATONEという三菱の有名なブランドのアンプでさらにチューニングしています。

夜はオトナがメインということで「うるさい」という苦情は割り切り、数十個のスピーカーでサラウンド効果を出し、会話ができないほどの音量、迫力の重低音で立体音楽を流す。
これは結構アガりますよ!

噴水も、ラスベガスのホテル「ベラージオ」のような音楽と合わせた演出をするとか。
(やってるのかな?夜は行ってないのでわかりませんが)
私もベラージオの噴水を見たことがあるのですが、なかなかの迫力と感動がありました。
日本でも確かよみうりランドが大規模にやってましたっけ。

先ほど、ただの街並みを再現しただけの通りがあると書きましたが、こうしたエリアごとにテーマを変えたロックやダンスミュージックをかけて、歩いても楽しくなるようにするとか。

エリアごとにミュージックとライトアップのテーマを変えて同時開催し、パーク全体を光と音楽のフェス会場にする。

ポップス、ロック、オーケストラ、アニメ音楽、バラードなどなど、客は自分の好みの音楽が流れるエリアに三々五々と分かれていく。
ポケモンGOみたいな園内宝探しイベントをやってもいい。

それで、カップルの夜のデートスポット、感度が高い女子の「映え」スポットにする。
女子ウケするなら必ず男性が誘いますからね。
入場無料なら誘因力は強いはず。

そうやって夜に客を呼べれば、必ず酒食の需要が生まれます。
それこそ夜景を見ながらスペインバルでお酒を飲むというのもいいでしょうし、サングリア飲み放題というのがあってもいい。

スペイン各地の地元ワインを飲みながら園内を回るスタンプラリーのワイン版を作り、ひとり500円で提供するとか。

「夜の顔」を前面に押し出すことで、「昼の街」と「夜の街」が明確に分かれ、競合(になるのかな?)のUSJなどとも差別化できる。

「昼はコドモ、夜はオトナ」が楽しめるパークというわけです。


・新規投資

おそらく累損がかなりの規模で残っていて毎年赤字だと思います。
なので取引銀行から追加の融資を引き出すのはなかなか難しいと思います。
きっとお金もないはず。
ですがもし新規投資が可能なら、

・アスレチック施設
・バーベキュー場
・キャンプ場

を作ると思います。

アスレチックは小学生とその家族を呼べます。
とにかくアスレチック施設は子どもを惹きつけるマグネット効果が非常に高いのです。

屋外で思いっきり身体を動かし、へとへとに疲れ、帰りの車の中で爆睡するというのは、健康な子どもの過ごし方のような気がするのはどの親も同じなのでしょう。

ウチの子も、アスレチックやふわふわドームとかも大好きです。

公園に併設されるようなチープなアスレチックではなく、未就学児コース、小中学生コース、難関コースと分かれる日本最大級規模のものです。(しかしそんな土地あるかな?)
そして料金も、1人500円などとハードルを下げる。

バーベキューは安直に見えますが、家族だけでなく若者グループを呼べます。
食材はレストランのものと共用すれば無駄がない。
持ち込み可なら、基本料金をもらう。
持ち込みがないなら、基本料金はナシ。

レストランの一部を改修してお酒のテイクアウトスタンドを設置し、バーベキューの客が自由に取りに来られるようにする。

人件費を削減するため、オートビアサーバーをずらりと並べて(同様に、チューハイやハイボールもオートサーバーに)、時間制の飲み放題にする。
クラフトビールがあってもいいな・笑

キャンプも安直とはいえいま流行りなので、やはり家族を呼べる。

キャンプ施設はあまりお金がかからないので、場所だけでしょう。

ユニークな形状のキャンプを固定設営するという方法もあり、ホテルライクなキャンプ体験でもよいかもしれない。
いわゆるグランピングですね。
結構な投資額が必要ですが、女性も楽しめる。

キャンプ場でもバーベキューありにすれば、同様にお酒が売れるかもしれない。

とにかくここはお酒のラインナップがしょぼいんですから。
USJやディズニーランドにも共通して弱いのが、先ほどの音響効果のほかに、このお酒・つまみの領域です。
てか、テーマパークは全般に弱い。

車を運転するパパだって、ランチビールを飲んだとしても夜帰るころにはアルコールは抜けていますから(人によりますけど)、ガチガチに考えることはないでしょう。

あるいは行きはパパが運転し、帰りはママ(あるいはジジ・ババ)が運転すれば、パパは安心して飲める!

飲み過ぎたらキャンプ場やグランピング施設に泊まっていただきましょう!


・博物館もアトラクションに

あと、しょーもない博物館(失礼)があるのですが、これが本当につまらない・苦笑
これを、たとえばゲーセン、室内遊戯施設、トリックアート、迷路、サバイバルゲーム施設、ローラースケート・スケボー施設、屋内アスレチック施設などに変更。
チームラボみたいな施設にすれば、幼児や未就学児を持つ親が来そうです。

あるいは出版社と組んで、1〜2か月単位で漫画の作品展・グッズ販売・コスプレイベント(同人誌の出店も無料にする)をやる。

たとえば今月は「呪術回戦特集」で、アニメのセル画、キャラクターグッズ、同人誌、コスプレ撮影会。
来月は「ソードアートオンライン」、次の月は「僕のヒーローアカデミア」とかとか。。

ううむ、月ごとはさすがに目まぐるしいので、2〜3か月ごとですかね。

すると、それらのファンが来てくれるため、閑散期対策にもなる。
アニメファンはそれが平日だろうと、会社を休んででも来るからです。

先ほどのプロジェクションマッピングも、そのアニメに連動して見どころのシーンを放映してもいいですしね。
(鬼滅の刃の19話などは何度見ても涙が出ます^^)

入場は無料なので来やすいし、ついでにレストランに寄ってくれる期待もある。


そしてこれらを、中途半端にやるのではなく、「西日本最大級」「日本最大級」ぐらいに思い切って振り切る。
とにかく中途半端が最もマズいやり方です。

多少トリッキーでもいい。
スペインにこだわっている場合ではない。
キャラクターラインナップが分厚いディズニーやUSJとは違うのですから。
良くも悪くも話題作りが必要です。

テレビ取材やSNSで拡散されるような仕掛けを連続して繰り出し続ける。

・テレビ取材

なので、この改革の取り組みをテレビ局に売り込み、密着ドキュメンタリー番組として放送してもらえないか交渉するとか。

なんてことを考えてみました。

それで繰り返しになりますが、これは単なる私個人の頭の体操ですので、ファンや関係者の皆さまへの批判などではありませんので念のため。

「コイツ、何もわかっていない」と思われるかもしれませんが、実際何もわかっていないし何も調べてもいないので、的外れなことがあっても当然です。

それでも、もっと時間をかけるとまだまだアイデアが出てきます。
もっとフードトラックを増やして賑やかさを演出したら入場無料でも飲食で多少は補えるかもしれないとか、いろいろ思いつくのですがキリがないのでこの辺りで。。

ここで大事なことは、「このアイデアはいい・しょぼい」「どれが正解か不正解か」ということではありません。
「自分ならどうするか」を考える習慣の重要性です。

批判だけなら誰でもできるけれど、そんな意見に意味などないでしょう。
(実際にはそういう人が大多数ですが、無意味なことをやっているということにすら気づかないものです)

何も材料がない状態で、自分が直接見聞きし経験した中だけで、自分の頭の中にある情報を組み合わせてひねり出すのです。

おそらく検索すれば、志摩スペイン村の分析記事とか、提言はたくさんあるかもしれません。
だからもしそれらを見ると、被っているとか、チープだとか感じるかもしれません。

でもそんなのでヒントを得たらその情報に流されるし、何より自分で考えたことにはならない。
「どう考えたらいいかわからない」と感じても、それすら「自分で考える」。

とにかく白紙状態から考える。
この訓練が脳を鍛える。

で、考えたあとでなら、そういう分析記事やら他のテーマパークの改革事例を見てもいい。

私もこの「どこでもコンサル」(自分がコンサルタントになったつもりで考える)を確か27歳ぐらいのときからやり始め、おかげで戦略コンサルの入社試験(面接が10回もある!)を突破できたと思っています。

起業してからは「どこでも社長」(自分が社長になったつもりで考える)の作業を継続していますから、もう20年以上やっています。
100本ノックどころではなく、すでに1万本ノック級ですから、これで相当な力がついたと思っています。

実際、何かをやろうとしたときに「まったくアイデアが出ない」ということはまずありません。
たいてい打開策が見つかります。

この「何かアイデアが見つかる」という自信は生きる勇気にもなります。
悩みや不安からも解放されます。
以前書いた通り「アイデアマンは悩まない」というのは、悩みすら課題にして解決できるからです。

考える「地力」をつけるには非常に有効な方法だと思うのでおススメです。
posted by 午堂登紀雄 at 18:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日経225とNYダウへの投資

日経平均とダウが大きく崩れたため、株価指数CFDでエントリーしました。
日経平均は27,900円から200円刻みでナンピン買い。
NYダウは33,500ドルから100ドル刻みで同じくナンピン買い。

金融危機でもないのにこの大きな調整は、むしろチャンスだと考えています。
個人的には日本株は中期的には上昇、アメリカ株は中期でも長期でも上昇と予測しているので、仮に見込みが外れても長期保有でいいやというスタンスです。

たとえば2020年3月の大暴落(コロナショック)も同じく、金融恐慌というよりもむしろ不安心理によるもの。
だからリーマンショックのようなことは起こらず、相場関係者が落ち着けば相場も復活するはず。

なのでこの方法で、コロナショックでも大きな利益を出すことができました。
このときは確定拠出年金を使って全力で買い向かったのですが、確定拠出年金内の利益には非課税ですから、税金はゼロ。

しかし今回は戻りは速いはずで、確定拠出年金では間に合わないので、株価指数CFDというわけです。
これはレバレッジが利いていますから、少ない資金で大きな金額を動かせます。
しかしリスクも大きいため、1単位ずつ、間隔を空けて、資金管理に注意しながらナンピンの指値を入れました。

また、私は投資信託があまり好きではないのですが、普段は前述の確定拠出年金で北米株ETFを積立投資をしています。
確定拠出年金には基本的に投信か預金しかないので選びようがないという理由もありますが。

しかし今回のように大きく崩れたときは、積立ではなくまとまった資金を投下してアメリカ株のETFを買います。
戻りが速いと予想される相場では、このほうが機動的に動け、見込める利益も大きいからです。

つまり普段は投信の積立で何も考えない、しかし大きく崩れたときは出動する、というやり方です。
さて、結果はどうなるでしょうか。
posted by 午堂登紀雄 at 11:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月28日

私も50歳になりました

2021年4月28日、ついに私も50歳になりました。
節目の年齢でもあるので、ちょっと感じていることをつらつらと。

自分がおよそ90歳ぐらいまで生きるという仮定に立てば、すでに人生の後半戦に差しかかっていることになる。(100年時代とはいえ、実際には男性の平均寿命は90歳ぐらいで落ち着くのではないかという想定)

20代や30代の頃には、50歳の自分なんてまったく想像できなかった。
先も見えて衰え、下っ腹も出て、能力的にも下降を始めるおっさんぐらいの認識だった。

しかしいざ自分が直面すると、まだまだ頭脳は冴えていて、上り坂であることに気が付く。(知らんけど)
むろん成長曲線は緩やかになり、かつてのような実務能力の急激な成長は見込めなさそうだが、思考力や判断力、メンタル面などの部分で成長できていると実感できる。(知らんけど・笑)

もちろん当然ながら運動能力も見た目の若さも衰えている。
10代の頃は、たとえば5,000メートルを15分台、100メートルを11秒台で走っていたのに、今は見る影もない。
頭髪はすでに半分くらいが白髪となり、10年後はおそらくほぼ真っ白になるだろう。自分の父親に似るならば、頭髪そものものがなくなっていくかもしれない。
シワやシミも増えた。

しかし、そもそもそこは、自分が価値を発揮する領域ではない。
どんなにかけっこが速くても1円にもならない。見た目が若くて周囲から憧れられても、自分のアウトプットの価値とは関係ない。
アンチエイジングだなんだと年齢に抗うのではなく、自然体のナチュラルエイジングというか、年齢に相応しいグッドエイジングというか、そこは流れに任せようと思う。

そして、時間の使い方は、かつての自分中心から、家族中心へと変わってきた。
成長の一要素に「喜びの目線が変わる」というのがあるが、会社員時代や起業当初の頃には面倒くさいと思っていた子育てが、いまは喜びになっている。

そんな自分の人生の後半戦の役割のひとつは、「自分が自分が」よりも、次の世代にバトンを渡すことではないかと思っている。
後世に引き継がせたいことは何か、自分が若い世代に差し出せるものは何か。それを模索し、情報発信していく。
ただしスタンスはこれまでと変わらず、「自分が実践し本当に良いと思ったことを紹介する」「失敗も含めて公開する」という姿勢は貫きたい。
そもそも自分でやらずして良い悪いという評価はできないし、それは無責任だと思うから。

そのためにも「つねに新しいことに挑戦する」が必要になる。
だってそうしないとネタが尽きてしまうし人生もつまらないから。
そう考えれば、失敗は恐れることではなく、むしろ「ネタになる」わけでうれしいことになる。
これはとてもラッキーなことだ。

もうひとつの役割は「思考停止していくこの社会から人々を救う」こと。
「救う」と言うと大げさだけど、「こういう考え方もあるんじゃない?」という提案に近いだろうか。

世の中は確実に思考停止社会に向かっている。
たとえば書籍の売上が減り動画が全盛になるのは、考えてなくていいという側面があると思う。
なぜなら、動画は時間当たりに得られる情報量が、文字と比較すると圧倒的に非効率だから。
「本当?」
「それはなぜ?」
「その本質はどこ?」
などといちいち考えるのは確かに面倒なんだけど、でも考えることから逃げる人は、より賢い人が考えた仕組みに搾取され続けることになる。

そして多くの人は「こうあるべし」「こうあってはいけない」という思い込みに縛られている。
そういう社会の無言の圧力に従わされている。
それも思考停止のひとつの症状だと思う。

たとえば長男の小学校の学校説明会に行ったとき、クラス35人中、出席していた保護者は全員ママで、パパは自分一人だった。
これも「子育てはママの役割」という暗黙の了解に縛られているということだと思う。

私たち夫婦は仏滅に結婚式を挙げたのだが、それで割引を受けられたし、他のカップルもいなかったので、1時間も延長したのに大丈夫だった。むろん延長料金もない。
仏滅や大安を定める「六曜」はもともと中国由来の慣習で、でも本家の中国では意味がないものとしてとうに廃れている。
つまり根拠などなく、それを気にする理由もない。
ほかにも「高校生らしくない」とか「不謹慎だ」などという批判も、それを言う人が単に気に入らないというだけであって、合理的な理由や判断基準なんてない。

そうした、この世を覆う根拠のない固定観念や社会の圧力に気づいてもらい、自分の頭で考え、自己責任で判断・行動できる人が増えるよう、啓蒙活動を続けていこうと思う。

一方、子育てについては、18年間という期間限定の娯楽のような側面がある。
自分にとって子育ては単なる娯楽。
責任とか子どものためにとかじゃなく、自分が楽しいからやっているだけ。
そしてわが家は自分のときと同じく、高校を卒業すれば家から出て自立してもらう予定にしている。

18,19歳にもなれば、もう親の支援は必要なく、自分の生き方は自分で決められる、という人間になってもらいたい。(もっとも、自分のときのように親に反抗して期待通りにならない可能性もある。それもまた楽しいだろう)
だからそれまでは子をよく観察し、子の意志や自発性を尊重し、先回りし過ぎず考える力をはぐくみ、求められたらサポートは惜しまず(でも安易に答えは教えずお金も残さない)、子の没頭を応援しよう。

そのためにも、お金はもちろん、時間や思考の領域を空けておかなければならない。
かつては起業家・経営者として複数の企業を経営し、つねにいくつものプロジェクトを抱え、いろんな事業部門を立ち上げていた。
全方位に興味関心のアンテナを張っていたこともあり、時間も精神的な余裕も少なかった。
それで子育てが面倒とか、自分の健康にも無頓着だった側面はあると思う。

しかしいまは全面的に流行を追うのではなく、自分にとって重要・必要な領域だけをアップデートし、それ以外のことはいままでに確立したやり方を変えずに生きる方が効率的だろうと割り切っている。
自分がアップデートする分野を絞り込むことで余白時間が生まれるから、家族の時間、健康のための時間など、限りある自分の時間をうまく配分していくことになる。
何にウエイトを置くかというバランスの組み換えであり、何をショートカットやスキップして手抜きするかという、選択と集中でもある。

そしておよそ20年後には、再び夫婦二人だけになる。(ひとりだったりして?笑)
自分には定年退職や再就職という概念はないから、生涯現役で仕事を続けていくことになる。子は巣立っても、自分の人生は以降も続く。
自分のワークスタイルや得意分野、興味をそそられる領域が固まってきたから、大きな路線変更はないかもしれないけれど(あったらあったで楽しいけれど)、知的好奇心を失わず、新しいことには取り組んでいきたい。

とはいえ確かに、かつてのようなフットワークの軽さはない。
主催する起業塾に来ていた25歳の塾生が、「固定の住居を持たず、ホテルを転々とする生活をしようと思う」というのを聞いたとき、「その発想はなかった」自分に気づく。
かつては海外投資で世界を飛び回っていたけど、最近は面倒くさいと感じる。(現実問題としてコロナで行けないけど)
おそらく感動とか価値観の違いの認識やらはすでに織り込み済みなので、自分の感性や視野拡大に刺激を与える余地がもう小さいからだろうと思う。

わかりやすく言うと、スマホに慣れた人が、今さらタブレットや最新鋭スマホに乗り換えたところで、新しい自分や新しい視座が見つかるなんていう期待は薄いようなものか。
良くも悪くも「自分はこういう人間だ」「自分にはこういう生き方が似合っている」というものが固まってきて、自分探しをすることもないし、迷うこともない。

ただしそれがこじれると、「好奇心を失う」「ガンコ」「頭が固い」「変化を拒む」「現状維持」「既得権益にしがみつく」になるから注意は必要だ。
それを防ぐために意識しているのは、「自分には知らないことはいっぱいある」「自分の考えが間違っているのではないか?」「もっといい方法があるのではないか?」と振り返ること。
自分の無知や固定観念に気が付くこと、そしてそれを受け止め軌道修正できること。
無知の知を自覚することは人生のバージョンアップに役立つはずだから。
現実にはなかなか難しい行為なんだけれども。

また、自分の価値観という軸は大切にしつつも(その軸すら柔軟に変える必要はあるけれども)、前述の通り自分の幸福に寄与する領域はつねに最先端にしておこうと思う。
その軸はいまのところ「自由」に設定している。

自由とは「自分で選べる」「環境変化に翻弄されない」「他者からの干渉を受けない」ということ。
自分で選べるためには、経済力が必要。
環境変化に翻弄されないためには、複眼的な思考力が必要。
他者からの干渉を受けないためには、メンタルの強さが必要。
だから引き続きこれらを鍛えていこうと思う。

そして、いままで以上に面白いと思えることだけをやり、面白くないことはやらない。
自分の好奇心の対象が狭まっているとはいえ、やりたいと思えることは何でもできる現代日本は、やはり素晴らしいと思う。
海外を見てきたからこそ、よくわかる。
あと40年、いやいや、まだ40年もある。
コロナや自然災害に限らず、これからも想像すらできなかったことが起こるだろうけれど、未来は明るく楽しみだ。
posted by 午堂登紀雄 at 14:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月12日

最新刊『人生は「あきらめる」ほうがうまくいく!』(河出書房新社)発売のお知らせ

最新刊が発売されました。

人生は「あきらめる」ほうがうまくいく! - 午堂登紀雄
人生は「あきらめる」ほうがうまくいく! - 午堂登紀雄

2020年、世界中で猛威をふるった新型コロナウイルス。この影響で、多くの人がさまざまなことをあきらめざるを得ない状況に追い込まれました。

事業の継続を断念した、仕事を辞めた、進学や学業をあきらめた、結婚式や告別式をあきらめた……。
この「あきらめる」には、無念さ、苦しさ、みじめさ、挫折、夢破れて撤退、といった苦渋に満ちた敗北のイメージがあります。
また「あきらめた人」には、無能、意志が弱い、根性なし、無責任、などというダメ人間のイメージがあります。

一方、「継続は力なり」「あきらめたらそこで試合終了だよ」「石の上にも3年」「初志貫徹」などの言葉が私たちを縛ります。努力という名の宗教が、社会的な圧力をかけているようにすら感じます。

しかし、あきらめるのはそんなに悪いことなのか。あきらめたら本当に試合は終了するのか。
これまで私はあまり深く考えてきませんでしたが、探ってみたいと思い書いたのが本書です。

私の人生はあきらめたことのほうが多い

というのも私自身、振り返れば多くのことをあきらめながら生きてきたからです。
たとえばこんなことです。

・小学校のとき、アマチュア無線に憧れて免許を取ろうと思ったけれどむずかしすぎてあきらめた
・中学校ではバレーボール部のキャプテンをしており、高校ではバレー強豪校への進学を考えたこともあったが、毎回地区予選で初戦敗退の自分の実力ではレギュラーにすらなれないだろうとあきらめ、距離の近い新設校へ進学した
・東京で進学したいが国立大学は東大・東工大・一橋大・東京外語大など難関ばかり(他にもあったのに当時は知らなかった)なので受験はあきらめ、私立大学に絞った
・日本の公認会計士をあきらめた(他にも旅行業務取扱管理者や社労士、証券外務員、宅建などの通信講座の教材を買ったことがあるものの、ほぼ手をつけずに捨てた)
・英語の習得をあきらめた(ずっとコンプレックスを抱え、吹っ切れたのがなんと44歳のとき!)
・事業をあきらめた(車のカスタマイズ事業、不動産検索サイトの運営、エステサロンの経営、化粧品の通販、不動産仲介業、語学留学斡旋業など)
・経営者として組織を率いることをあきらめて「ひとり会社」になった。

一方で、あきらめなかったこともあります。

・米国公認会計士(とにかく合格するまで1年半粘った)
・執筆業

あれ、これだけ? あきらめなかったことよりもあきらめたことのほうが多い!
でも振り返って考えてみれば、あきらめるというのは選択と決断だったというのが素直な感想です。

あきらめるとは、自分に向いていない道を捨てて、より向いている道を模索することのような気がします。

私は「経営者」をあきらめ、「執筆業」をあきらめなかったわけですが、それは自分が本当に好きなことを選ぶことでした。
そして、前の試合はたしかに途中で終了したかもしれないけれど、自分が勝てそうな新たな試合が始まったということに気がつきました。

自分に向かないと感じたこと、充実感を覚えないこと、儲からないことを何度も何度もあきらめて、ようやく今の最高に幸福な状態にたどり着くことができたのだと思います。

子どもの頃に思い描いた夢をずっと持ち続け、それを実現した人ももちろん素晴らしい。
でも、あきらめたからこそ手にできる道もあります。

プロ野球選手になることを選べば、プロサッカー選手になることも、フィギュアスケートでオリンピックに出ることもあきらめなければなりません。掛け持ちでは労力が分散し、一流にはなれないでしょう。

この人と結婚することを選べば、あの人との結婚はあきらめなければなりません。
日本では重婚は法律で禁止されているし、掛け持ちするとむしろ大変なことになりそうです。

二兎を追って二兎とも得られれば、もちろんそれが理想。
私自身、さまざまな場面で二段構え≠意識しています。
しかし、二兎を追う者は一兎をも得ずということも、現実にはやはり多いような気がします。

未来を明るくする前向きなあきらめ方が必要

人生は選択の連続で、その積み重ねで今がある。
もしあそこで違う選択をしていたら?
違う大学に進んでいたら?
違う会社に就職していたら?
あの会社に転職していたら?
別の人と結婚していたら?

そんな大きな決断だけでなく、どの本を読むか、誰に会うか、何を勉強するか、何にお金を投じるか、あの人からの誘いを受ける(断る)かといった小さな決断によっても、「別の道を選んでいたら、違う人生になっていたかもしれない」と思うことはたくさんあります。

私自身、違う高校に行っていたら? 別の大学を選んでいたら? あの会社に就職していたら?
もしかすると、今のような自由な生き方をしていなかったかもしれません。
違う人生を生きることも試すこともできませんが、でも選んだ道の軌道修正はできるし、今から別の道を選ぶことはできます。

もし今が不満であれば、これからの選択を適切にすればいいだけのこと。
それには今やっている何かをあきらめなければなりません。
あきらめるとは「幸福に向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」ことなのでしょう。

それには、「失意」や「挫折」によるあきらめ方ではなく、よく言われるとおり「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きなあきらめ方が必要です。

物事をあきらめるタイミングはあるのか。どういう場面ならあきらめたほうがいいのか。良いあきらめ方があるとすれば、それはいったい何か。
本書は、そんな発想や技術を提供する、幸福に向かう「あきらめ本」という位置づけで書きました。
この本が、あきらめずられずに苦しんでいるあなたにとっての選択や判断の一助になれば幸いです。 

人生は「あきらめる」ほうがうまくいく! - 午堂登紀雄
人生は「あきらめる」ほうがうまくいく! - 午堂登紀雄
posted by 午堂登紀雄 at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする