フジテレビの「韓流偏重」に抗議するデモが行われ、フジテレビ前に6,000人も集まったそうです。
http://www.j-cast.com/2011/08/21104905.html
そこでこのニュースに対して、ちょっと思考トレーニングをしてみました。
--------------------------------------------------------------------------------
3年後、このデモに参加したり賛同したりした人は後悔することになると思う。
なぜなら3年後は、フジの韓国番組重視の路線は、かなり高い確率で変更されているだろうことが容易に想像できるからだ。
「偏りを是正しろ」とか「メディアの存在意義・役割としてどうなのか」という人もいるけど、この人たちはメディアの捉えかたを根本的に間違っているのではないか。
テレビに関して言うと、そもそも私たちには、テレビを見る自由も見ない自由もある。そして、チャンネルを選ぶ自由がある。
おもしろくなければチャンネルを変えることができる。ショップチャンネルを「行き過ぎた商業主義だ」なんて批判する人はいないだろう。
だからこそ私たちは、メディアを選べ、自分なりの考えを持てる。そんな日本はむしろ幸せだと思う。
フジテレビも、新聞・雑誌・書籍・インターネットを始めとした無数に存在するメディアのひとつに過ぎない。
それに、フジテレビに視聴料金を払っているなら話は別だが、基本的には無料メディアだ。無料のものに文句を言うなんて、どこまで自己中心的なんだ、と感じる。(番組のスポンサーがいたらゴメンナサイ。その人には文句を言う資格があります)
海外では日本のアニメがかなり流れているが、そう言う人は、もしその国で「日本アニメに偏っている」というデモが起きたら参加するのだろうか。
海外で日本食ブームが起きたら、「食の偏向だ」「日本文化の世界侵略だ」と意を唱えるのだろうか。
国家間の文化交流には、双方の文化やエンターテインメントに触れるのが一番だと思うのだが・・。
次に、「メディアは中立公正であるべき」という幻想があり、これもおかしな話だ。
メディアは、今だかつて中立公正だったことはないし、これからもそうなることはない。
そもそもメディアとはビジネスであり、そこには広告主、スポンサー、協賛といった「顧客」が存在する。
その顧客からお金をいただくため、つねに視聴率競争にさらされている。
さらにその視聴率をつくっているのは私たち視聴者であるから、メディアは私たちが望むものを放映しているともいえる。
それに、メディアで働く人の多くは私たちと同じ、給料をもらい、いろいろな好みや主義主張を持っているサラリーマンに過ぎない。
だからこそ、メディアが真実に切り込むこともあれば、偏り間違えることもある。ウソではなくても、演出の仕方によっては白が黒に、黒が白に見えることもある。
正義だ公正だ、と言ったところで、立場やものの見方が変われば主張も異なる。
たとえば明治維新では多くの人が命を落としたが、維新志士も新撰組も、互いに己が信じる正義のために戦ったわけであって、どちらが善か悪かなんてわからない。
影響力が強いから、という人もいるが、テレビに影響されるようでは思考停止と同じ。ダイエットのために納豆を食べるようなら、デモよりもむしろ視聴者へのメディアリテラシー教育のほうが優先度が高いだろう。
テレビが重要な情報源というのも勘違いで、テレビは娯楽のひとつに過ぎない。
孫正義氏、柳井正氏、大前研一氏らがテレビを見ているだろうか。テレビは成功に必要な要素でもない。
にもかかわらず、政府は地デジのために税金をわんさか使う・・・。
それに広告収入が厳しい昨今、いかに低予算で視聴率が取れるか、メディア側も必死だ。
そんな中、一定のファン層が獲得できる韓国分野はねらい目だ。ならば韓国番組を買い、韓国情報を流すのは、ビジネスとして当然のことだ。
トレンディドラマが流行ればトレンディドラマ中心に、クイズ番組が流行ればそれ中心に、お笑いが流行ればお笑いで、というふうに番組構成をするもので、時代環境ごとに偏りは発生するものだ。
それに彼らは、視聴者は飽きやすいということもよくわかっている。
韓国モノで何年もいけるとは、彼らも思っていないはず。
フジだってバカじゃない。(というか、明らかに私よりも優秀だ)
かくして3年後は、またそのときの時代を反映した番組構成になっているだろう。
こうして、デモを起こした人、フジの番組構成にケチをつけた人は、3年後はピエロというわけである・・・残念!
その瞬間だけを切り取って何かを言うのは誰でもできる。
しかし数年後もマヌケな主張にならないためには、視聴者としての立場だけではなく、様々な視点と時代背景を捉えた洞察力が必要であり、かなり難しい。
だからこそ、安易に他者を批判するのは、なんておそろしい行為なのかと感じる。
それに一方的な主張は、「自分は変わる必要はない。自分は間違っていない。間違っているのは相手だ。だから相手がかわるべき」という、「自分さえよければいい」という発想であり、これはこれで恐ろしい。
もっとも、もしかしたら参加した人もお祭り気分だけなのかもしれないが・・。
--------------------------------------------------------------------------------
以上、こんな感じでしょうか。
かつてクレヨンしんちゃんのアニメ放映が始まったときも、「親の名前を呼び捨てにする」「生意気なせりふを言う」など、親から苦情が来たそうですが、子どもはテレビのまねをするけど、成長すれば風化しますからね。
それに振れた振り子は揺り戻しが来るので、時間が解決すると思っています。つまりほうっておけばよいので、解決すべき問題ではないということです。
個人的にはデモのためにお金と時間を使う行為が非常にもったいないなあと感じます。ほかに優先順位が高いことはたくさんあるからです。
価値あることを成し遂げたいと思っているから、他人のことでイライラしているヒマなんてないんですよね。
2011年08月22日
この記事へのトラックバック
某ドラマで「LITTLEBOY」のTシャツを着て日本人を侮辱したり、Rankingを誤魔化して韓国産のものを1位に捏造したり等です。
サッカー韓日対決!等の表現でもよくわかります。
韓国素敵!日本憎し!が根本的にあるのです。