2011年06月18日

エネルギーバブルか正常進化か

震災後、太陽光発電がにわかに注目を集めている。ソフトバンクの参入も影響しているようだ。
価格の安い中国産や米国産の太陽光パネルを採用する、異業種からの参入も相次いでいて、なんとなくバブル状態?

もちろん代替エネルギーの開発・推進は望ましいし、競争激化は消費者にはメリットがあるので、これがバブルだとしても、悪くはないかもしれない。
しかし昨今の議論は、「危険だから原発ヤメロ」というだけで、国家としてのエネルギー政策の議論が見えないように感じる。

回転ブランコの事故で全国の幼稚園や小学校から回転ブランコが消え、回転ブランコで遊んでいた大多数の子供たちから楽しみのひとつを奪った。
派遣切りの問題で政府が規制し、派遣という柔軟な労働制度の恩恵を受けていた人たちの職を奪った。

100かゼロかという、感情で極論に振れるのはこの国(だけではないかもしれませんが)の良くない傾向だろう。

今までさんざん原子力の恩恵を受けておいて、いざ問題が起これば大反対のシュプレヒコールをあげるのは、給料をもらっている会社の悪口を言うようなもの。
会社の不平不満を言うなら給料を返上してから言うべきと同様、まず家のブレーカーを落としてから言ってほしいと感じる。

聞きかじった話だけど、原子力と比べたら、太陽光も地熱も風力も発電効率は極端に低く、原子力ゼロでは日本の1億2千万人への供給は難しいらしい。原発1基分の発電量を賄うには、火力発電所5〜6基分が必要だそうで。

かといって火力発電を増やせば、京都議定書の批准を目指し「チームマイナス6%」といって税金を使って推進してきた政策や、排出権取引で今まで何百億円も出費(これも税金)をしてきた日本はいったいなんだったのかということにもなる。

安全はもちろん大切だけど、経済成長を阻害することなく、利便性の高い暮らしも両立できるよう、冷静かつ合理的に考える必要があると思う。
失敗から学ぶならば、「原発はナシ」が前提ではなく、より安全性の高い原子力発電所を作る方法も含めて議論し、聖域やタブーを設けないほうがいいような気がする。
もちろんそれは議論の中でであって、実施するにはいろいろ制約があるとは思うけど。

そもそも100%安全確実なものなんて存在しないのだから、それを求めれば何もできないし、膨大なコストがかかる。日本の沿岸に高さ100メートルの防波堤をぐるりと作れ、なんてことは無理だし。太陽光パネルだって、水銀や鉛が含まれている製品もあり、古くなったらそれらの処分はどうすんじゃい、という議論も将来は出てくる可能性がある。

ただ問題は、政府にも企業にも隠蔽体質があるので、何が本当かわからないところにある。
だから、基本的に自分の生活は自分で守れるようにしておこうと思う。
自然災害は防げなくても、そこから自己責任で這い上がれるようにしておく。政府や企業の対応に頼らず、自活できる体質を作っておく。そうすれば、他人の言動に腹が立つこともない。
そんなことを感じる今日このごろです。



posted by 午堂登紀雄 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 午堂登紀雄の独断と偏見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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