2011年04月28日

残りの40年、後世に何を遺すか

今日、2011年4月28日、40歳になった。
速っ!!!

でも、1年1年がすごく濃い。

親の反対を押し切って東京に出てきたものの、就職できずにフリーター生活を余儀なくされた。
やっと決まった会計事務所も、ポカミスの連続で、たった1年で追われるように辞めた。
そこからコンビニ業界に移って這い上がり、外資戦略コンサルで鍛えられた。

そして起業したのが34歳のとき。
それ以来、去年より今年、今年より来年がずっと濃い1年だと感じていた。
そして、38歳のときも濃い1年だと思ったけど、昨日までの1年間、つまり39歳のときはもっと濃かった。

いろんなことがあった。
大成功も大失敗もした。
本や講演ではかっこいいことばかり言ってるけど、実際は悩んで迷って失敗しての連続。

でもこれもすべて、自分の人生の一部。
何もないよりずっと刺激的。
それに、失敗は本のネタになるし(笑)

寿命が80年だとすると、ちょうど人生の半分を折り返したことになる。(何事もなければ)
もう半分なのか、まだ半分なのか・・・・。

でも、職業人生は、まだ半分に満たない。
残りの人生はすべて職業人生になると思っているから、まだ40年もある・・・。
ヤッター!
やりたいことはたくさんあるけれど、40年もあれば、いろんなことができる!
40年もあれば、いろんなところに行ける。いろんな人と出会える。

そもそも3億分の1という受精競争を勝ち抜いてこの世に生まれてきたことがそもそもラッキーで、親兄弟家族親戚友人知人上司同僚部下取引先(中国語じゃないよ・笑)に恵まれたこともラッキーで、今も生きていることもラッキーで、まだ40年も人生を楽しむ時間が残されていて・・・。
おおー!(喜)

でも「40にして惑わず」どころか、大いに惑っている。
この40年間で築いてきたProfession(正確には社会に出てからの40-22=18年だが)の延長でこれからも行くのか、あるいは捨てて新しいProfessionを獲得し、仕事にしていくか。

答えはもう出ている。
今までのProfessionではもう、食べていけないということに。
だから、新しいことに挑戦すべきだということに。
でもあと40年もあるのだから、まだまだ行ける。

そこで自分に問いかけているのは、「後世に何を遺すか」ということ。
自分が生まれてきた理由、存在価値、そして、自分が自分であるために、生きてきた証を遺したい。

カネ、事業、門下生、思想・・・・。

カネはどうだっていい。ただの交換の道具に過ぎないからだ。カネを子供に遺すと、人生を自分の手で切り開くチャンスを奪ってしまいそうだし。でも、基金という考え方ならアリかも。
事業は遺したい気持ちもある。やっぱ「男として生まれたからには」ってヤツだ。
門下生は適切じゃないかな。後継者かな?自分の意思を継ぐ者ということ。これは事業とセットかもしれない。
そういえばマンガ「NARUTO」の映画に「火の意思を継ぐ者」というのがあったけど、感動した。

う〜ん・・・。
たぶん、遺したいのは思想だと思う。
最後は人間の手によって動かされる。思想が伝われば、基金でも事業でも後継者でも、それを動かす人が続けてくれる。人はみなそれぞれだけど、思想は生き続ける。
宗教だって思想だ。
価値ある思想だからこそ、何千年も人々を魅了し続ける。しかも国境もない。

自分はどんな思想を、この世に、後世に遺すことができるだろう?
そしてそのために、どういうProfessionを身につける必要があるのだろう・・・?
やはり40にして惑う!笑
posted by 午堂登紀雄 at 14:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

今、順番に午堂さんの著作を読んでいます。

会計事務所を追われるように辞めた午堂さんがコンビニ業界で這い上がれたのはなぜでしょうか?

潜在能力が高かったとしか思えないのですが。
Posted by なべ at 2011年06月09日 21:33
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