ツイッターやフェースブックには、義援金やチャリティーイベントの呼びかけが跋扈している。
自分も義援金の寄付はした。
同じ国の人間として、被災を免れた人間として、そうしたいと思ったからだ。
しかし、いくらの寄付をしたとか、会社の売上の何%を寄付するとか、応援するイベントをやろうなどとは言いたくない。
数多くの善意の宣言があふれてくると、それが本当の善意なのか、自分と自分の会社の広告宣伝なのか、いちおう自分もやっておかないとまずいかなという乗り遅れたくない気持ちなのか、わからなくなるからだ。
「こんなに募金して活動して、俺ってこんなにイイ人。被災者を助ける思いやりのある人。どう?こんな俺ってエライよね。」という心の奥底の声が聞こえてきそうな、慈善活動をしている自分に酔っているんじゃないかと思える人もいる。
たくさんの寄付をすることは素晴らしい。かっこいい。ほかの人にも「自分もやろう」と思わせる力がある。
しかし、みなが競ってやり始めると、「わが社は環境にやさしい企業です」と宣言するのと同じレベルのパフォーマンスに見えてくる。
もちろん、寄付行為を否定するわけではない。それは大切。でも、ことさらアピール合戦をする風潮は、ちょっと気持ち悪い。
そう思っていたころ、やるせない気持ちになる記事を読んだ。
http://getnews.jp/archives/110009
考えさせられた。
自分たちがやっているのは、善意か、偽善か、善意の押し売りか・・・。
たぶん、自分は本当の意味で被災者の気持ちはわからないのだと思う。
でも、彼らの本心を聞き、自分ができる範囲で自分なりにできることを考えたい。
具体的には、東北の商品を買って支援しようと思う。
昨日、東北の日本酒を飲んだ。明日は仙台牛の牛タンを食べる予定。
自分も誘った仲間も楽しい。そして東北にもお金が落ちる。
私の会社では、被災地じゃないけれど、東北の企業にHPの制作・更新をお願いしている。
これも偽善かもしれない。自己満足かもしれない。いったい何が本当の善意なのだろうか。あるいは、そんなことで悩むのが無意味なのか。
動機は何であれ、とにかく行動することが大切なのか。形は何であれ、結果的に被災者の役に立てばよいのか・・・。
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昨日は、ご指導ありがとうございました。
あまりトーカティブではないとの印象だったのですが、さすが、経営者として修羅場をくぐった貴重な経験とのご助言。
実行させていただきます。