プレジデントウーマンオンラインでの連載がヤフーに転載され、それを読んだ読者からツイッターでツイートが来たことです。
「根拠を提示せず、適当なことをヌカしてますね」
と。
元記事
https://president.jp/articles/woman-print/37086
ヤフーがこれです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/06cd3ffe9e6089c340cb89a8734b924486d5e02e
書いている人は池上秀司(イケガミヒデジ)さん?誰だろう?
知らない人です。
少なくとも、突然こんな失礼な文面のリプを送ってくる友人知人はいない。
そもそも礼儀としてどうなんでしょう。
成熟した大人の人間が、面識のない人に対していきなりこんな文面を送りつけるでしょうか。
マナーやモラルの意識が欠如し、当人は自分の行為が失礼であるということにすら気づいていないのでしょう。
まあ、ネットはこんなものですかね。
これが匿名ならガン無視ですが、実名だったので、無礼な人だなあとは思いつつ、「もしかしたらちゃんとした人かも?」という淡い期待。
それで丁寧に「このコラムのメインメッセージは自分の支出を見直そうですけど」って助言してあげました。お人よし?
すると「だったらそのように書けばいい」と返ってきました。
それで、「冒頭と最後の2か所にも書いてます」と返信すると、「そうじゃなくて根拠を示せと言っている。でないと与太話」と来ました。
「ああ、この人は抽象的な思考が苦手だし富裕層との接点がないからわからないのね」と思って面倒なので「信じないのも自由。どう判断しようと読者の自由です」と返したのですが、しつこく絡んでくる。
それで時間の無駄なので結局無視するに至った。というわけです。
※もしツイッターのアカウントを持っていれば、@tokiogodo にぜひアクセスしてみてください。
実際のやりとりの記録が残っていますが、なかなか面白いですよ。全然噛み合っていないところが。
それでせっかくやりとしたので、これは何かの本やコラムに活かそうと(つまりマネタイズしようと思い)、なぜこういう人がいて、こういう反応をするのかの理由を考察してみました。
最近、メンタル系の本を中心に書いていることもあり、人間観察が習慣になっています^^
具体の世界で生きている人は、抽象の世界が見えない
このコラムのように「富裕層の〜」などと一般化した話というのは、抽象度を上げて具体論に落として紹介しているわけですが、ゆえに理解できない人は少なくありません。
というか圧倒的多数の人は抽象的思考が苦手です。
(たとえばトヨタの「プリウス」。これを一段階抽象度を上げると、「ハイブリッド車」。もう一段階抽象度を上げると「自動車」(この間に「セダン」を入れてもOK)。次は「乗り物」というのが、具体と抽象の関係です)
以前、コラムでこのようなことを書きました。
「知識・情報・経験を組み合わせて成功法則を導き出せるのは、抽象化能力の高さがあってこそです。
また、そこから実行に移すには徹底的な具体化能力が求められます。ビジネスモデルは抽象的なものですが、実行計画は具体そのものです。
料理も同じく、たとえば献立の組み立ての構想は抽象であり、個々のメニューの調理は具体です。一流の料理人は両方できますが、二流三流の料理人は調理しかできないのです。
起業家や経営者はグランドデザイン(戦略)を描き、それを実務に落とし込む。そしてそれらを実践するのが一般従業員であるように、成功者は具体と抽象を往復する能力が高く、貧しい人のほとんどは具体の世界でしか生きていない。
だから凡人は具体的な指示を与えられないと動けないため、たとえば「これ任せるから好きにやって」と言われたら混乱しますが、成功する人は嬉々として取り組むものです。」
という文章です。
ゆえに圧倒的多数がサラリーマンで、圧倒的少数が起業家なわけで、「具体と抽象の往復」がどれほど重要であるか理解できると思います。(むろんサラリーマンであっても抽象的思考力の高い人はたくさんいますので念のため)
ちなみに起業家というのは、自分で市場ニーズを読み解き商品を企画し作って値段をつけて販売するという、いわゆる一連のビジネスコンセプトを練り上げられる人のことです。
なので請負業務・相談業務・定型業務が主体のフリーランスのことではありません。こういう仕事はほとんど具体であり、抽象的な思考は不要だからです。
(ただしコンサルタントやデザイナー、コピーライターや建築家などクリエイティブな職業は、極めて高度な抽象的思考が求められる仕事です)
そして、「いや、こういう人もいる」「そんなことないだろ」「データで示せ」などという人は、抽象化能力が低い、具体の世界で生きている人です。
なぜなら、例外に引きずられて一般化できないし、固定観念に縛られ情報がインプットできない、データ信仰者は定性情報から傾向を抽出できないことを意味するからです。
そしてこの具体と抽象というのはマジックミラー(一方からは見えるが、反対からは見えない)の側面を持っていて、抽象的思考能力が高い人は具体の世界も見えますが、抽象化能力が低い人、つまり具体の世界で生きる人には、抽象化の世界が見えません。もちろん、見えてないことにも気が付きません。
むろんこれは程度問題でイチかゼロかという話ではありませんが、端的に言うと「住んでいる世界が違う」ということ。
先ほど、「一流の料理人は両方できるが、そうでない料理人は調理しかできない」というのもそういうことです。
だから「理解できないのは書き手が悪いからだ」というのは半分正解だとしても、半分は不正解。
なぜなら、具体の世界でしか生きていないために抽象的な話が「わからない」わけで、こういう人には何を提示しても理解できないからです。だから議論がかみ合わない。というか議論にすらならない。自分が見えていないことにすら気づいていないので当然です。そしてそのまま生涯を終える人がほとんどです。
そのため具体の世界の住人はここで「お前が何を言っているのかわからない」「詭弁だ」という感想を持ちます。
もっとわかりやすくいうと、「幽霊が見える人と見えない人との違い」です。
見える人は現実世界も霊的現象も見える。見えない人は現実世界しか見えない。だから「ほら、あそこにいるよ!」「お前何言ってんだ?バカじゃないの?」となるわけです。
彼らにはこの手の話を読んでも時間の無駄ですので、他をあたった方がご本人のためかと思いますね・・・。
もしあなたが情報発信者で、同様の批判を受けたとしたら、時間の無駄ですのでスルーがおススメです。
なぜなら、彼らは理解しようとしないどころか相手の揚げ足を取ることでしか自分を正当化できないので、永遠に平行線だからです。
だから添付したやりとりのスクショを見てもわかるとおり、丁寧に説明しても否定する、「判断は自由ですよ」といってもさらに絡んでくるわけです。
そもそもターゲットも知的レベルも違う
友人から「ヤフーのコメント欄がにぎやかになってますよ」とメッセージがあって見てみたら、「本当の富裕層はそんなことしない」とか「納得できない」という意見が大半でした。
冒頭の人からも「ほら、お前の記事はまったく受け入れられていない。だから記事が悪いんだ」というのが来ました。ご丁寧にスクショまで貼って。
しかしそれもそのはずで、「見えない人には見えない」から理解できないのです。だから枝葉末節の揚げ足を取って反発するしかない。そして批判をすることで自己正当化に血道をあげ、溜飲を下げる。
なぜなら、このコラムのメインメッセージは「自分の支出を見直そう」であり、冒頭と最後の2か所にも書いているのに、本論を見失っていることがよくわかるからです。
議論していても、いつも論点をずらして会話にならない人っていますよね。
そして「富裕層」という言葉を見て、自分が抱く固定観念と違うからといって、それに引きずられてしまうのは知的に打たれ弱いということ。
知的に打たれ強い人は、仮に本質と関係ないと峻別した場合、それを自らの脳内で排除して内容を読める人なのです。
そして記事から何も学ぶことはできなくなり、反発は「学習能力を下げる」感情であることもわかります。
そこで知人の富裕層の何人かにこのコラムを読んでもらったら「そうそう、それって無駄だよね」という感想。
むろん私の知人ゆえにポジティブな感想であることを差し引いたとしても、反応が全く異なります。
ちなみに繰り返しになりますが、ヤフーでの掲載は本原稿の転載で、元は「プレジデントウーマンオンライン」。
つまり、キャリアを重視する、あるいはキャリアと家庭を両立させようという、向上意欲のある30代〜40代の女性がターゲットです。
属性も知的水準もバラバラなヤフコメ主に受け入れられるかどうかと、記事から何を読み取れるかはまったく別問題。
たとえば「富裕層はそんなこと気にしないだろ」という人に限って、身近に富裕層はいないか、又聞きで認知が歪んでいたりします。
あるいはメディアからの断片的な情報で「富裕層とはこういうもの」というイメージというか固定観念が作られていて、それに当てはまらないから否定するのでしょう。
彼らはリアルの富裕層や成金や成功者を知らないのです。
知らない人が「いや、それは違う」という指摘をするという矛盾にも彼らは気が付かない。
そしてそのコメントを見て「そうだそうだ」と後押ししてもらって自分の論拠にするという人の思考の浅さには、失笑を禁じえません。
仮に知っていたとしても、「こういう人もいる」と例外を上げるのも抽象化能力が低い人で、やはり学べないのです。
だから富裕層の習慣を知ったところで真似しないしできないし、当然ながら富裕層にもなれない。
数字では見えないものを見る
先ほど「データで示せ。でないと信用できない」というクレーム(イチャモン?笑)が来たという話をしましたが、思考パターンや行動パターンから教訓を抽出する作業は、実は定性データの分析の方が適しているというのが私の実感です。
むろんデータがどうでもいいということではなく、私も雑誌の取材でアンケート結果を見て分析したことは何度もあります。(たとえば年収の違いによる行動パターンの対比とか)
しかし「なぜそうしたのか」という、判断の根拠となった行動原理を想像しやすいのはやはり行動観察からです。
たとえば「富裕層の8割は長財布を持っている」というデータがあったとして、では自分も長財布に変えれば富裕層になるかというと、なるはずがない、というのはおわかりいただけると思います。
「きれいにお札を並べ、レシートやカード類も整理しているから」というのも理由としては不十分で、「金銭管理をきちんとする習慣ゆえに、それが生活の全方位に発揮され、ついでに財布の中も整理されている」わけで、長財布は結果に過ぎないのです。
だから結果を見たところでほとんど意味はなく、「なぜそうしたか」を探る作業が必要で、それには個別個別の人をじっくり観察する必要があります。
それに、定量化すると平均化されやすいですから、突出した人の突出した傾向が埋もれやすくなります。
突出しているがゆえに例外として切り捨てられることもあるでしょう。
昨今は現金も財布も持ち歩かない富裕層が増えていますが、全体としては少数派でしょう。しかしそれが、将来の多数派になる可能性を秘めているとしたら?
そして私はこれまで何百人もの起業家・経営者・成功者・富裕層と関わってきたので、少数のパターンからでもその行動原理はおおよそ推測できるようになってきました。
だから最近交流を始めた若手の富裕層・成功者の20人程度のサンプル数でも十分なのです。
プライドが高く自分が賢いと信じたい人は「ネット上のあおり屋」になりやすい
実社会で承認欲求が満たされていないと、他人の文章をあれこれ批判する傾向があります。
こういう人は結構多くて、ネットの世界では頻繁に出没します。
特にSNSは承認欲求を満たすのに格好のツールで、相手を落とすと相対的に自分の立場が上がるという壮大なカン違いを起こしやすいのです。
そして、相手が悪い、書き手が悪いと主張し、自分が能無しではない、相手よりも賢いことを確認しないと気が済まない。
それで相手の主張を認めると、どこか自分が議論に負けたかのように感じ、自尊心が保てないわけです。
そのため延々と絡み続ける粘着質になるのもこのタイプです。
いわゆる「ネット上のあおり屋」ですね。相手が車から降りてゴメンナサイするまで追いかけまわすというアレです・笑
だから自分が「読めていない」ことを絶対に認めるはずもなく、書き手が悪いの一点張り。
歩み寄る余地を見出せないのはクリエイティビティがない証拠で、だから稼ぎが悪いのです。そしてそういう発想であるがゆえに、本人が稼げていないということにも気づいていない。
なぜ稼ぎが悪いとわかるかというと、先ほど述べたように、本人は抽象化能力が低く、抽象的な思考が苦手な人だからです。
文面からも完全に具体の世界の住人で、まったくお金のにおいがしない。
こういう人は稼ぐ仕組みを考えることも苦手なので、単純業務しかできません。
そして富裕層の顧客がいない、接点がないため余計に「データ示せ」などとデータを見ないと納得できないと執着するのでしょう。
なかなか典型的な具体の世界の人だったわけですが、それで思い出した「Garbage in Garbage out」。
これはどういう意味かというと、「ゴミを入れればゴミしか出て来ない」というデータ分析の世界における慣用句なのですが、残念な頭脳にはどんな情報を入れても残念な結果しか出てこないという意味でもあります。
むろん、ご本人は自分の生き方に納得されているのでしょうから、それはそれで自由。
どちらが良い悪いという問題ではなく、繰り返しになりますが「住む世界の違い」というだけです。
ただ、安易に他人に絡むような迷惑行為はやめていただきたいものです。
私の話など「トイレの落書き」程度のものとしてスルーすればよいだけの話。
などと辛らつなことばかり書いても気の毒なので、ここでひとつアドバイス。
情報というのは、批判することには意味がなく、その中身を自分なりに咀嚼し、自分の生活に取り入れようという姿勢を持つことが大切です。
(とはいえ、もし該当する人がこの記事を読めば、やはり否定・批判してくるでしょう。あおり屋とはそういうものですからね)
これは何かの本かコラムで使えそうです^^
使った時間は無駄にしないのが私の主義です^^