2017年09月23日

安倍政権おろしは国を滅ぼす 安倍政権おろしは国を滅ぼす

安倍政権の支持率が大きく低下し、年内の解散総選挙の可能性が報道されています。
この大きな要因はやはり、森友学園の寄付金や加計学園の許認可を巡る疑惑でしょう。
支持率、つまりそれを支える国民はメディアの報道の影響を強く受けますから、これらのニュースが連日流されることによって、安倍政権への印象が悪くなり、風当たりが強くなったと考えられます。
もちろんこうしたスキャンダルはないほうが望ましい。政治家には清廉潔白で道徳的にも立派な人であってほしいと願うのは当然です。

しかし、これらは数ある政策の中でもゴミのように小さな話に過ぎません。寄付金があったとしても、その金額もせいぜい100万円。新設学校の認可も、膨大にある教育テーマの中の、1つの学校という、これまた本当に小さなこと。
それを国家天下と同じレベルに拡大して報道し、こうしたことに国会審議の時間が奪われ、政治家の労力が費やされている・・。

今の日本には、外交、安全保障、社会保障、農業改革、教育改革、資源開発、果ては待機児童問題などなど、課題は山積みです。
にもかかわらず、このような些事に振り回されて、仮に政権が交代するとしたら、日本人からはもはや知性が失われたことを意味し、暗鬱な気分になります。


ひとつひとつの政策をチェックする
たとえば、あのトランプ大統領と対峙してもビビることなく、フットワーク軽く交流できる人物は、ほかにどれだけいるでしょうか。
安部首相ほど多くの諸外国を巡り、経済協力や信頼関係の構築に尽力した首相は、近年ではほとんどいない。それくらい特に外交面では成果を上げていると感じています。

また、私は憲法9条の改正には賛成の立場ですが、それは北朝鮮の核開発問題や中国の海洋進出問題など、日本を取り巻く環境が日本国憲法が制定された70年前とは大きく変わっているからです。
戦後と異なり、日本の安全を脅かす国家がすぐ隣で台頭し、アメリカの軍事力にもかつてほど依存できない懸念がある。
そうした国際環境の変遷において、他国を攻撃するためではなく、他国からの侵攻や脅威から自国を守る力を持つことは、独立主権国家を維持するためには欠かせない要素だと思います。

にもかかわらず変化を頑なに拒否するのは、現実逃避か思考停止か、あるいは単なる意地のようにさえ感じます。
状況が変われば自国の姿勢も変えるというのは、元セブンイレブン会長の鈴木敏文氏が言う「変化への対応」であり、「強い種が生き残ったのではなく、環境変化に適応した種が生き残ったのだ」というダーウィンの進化論と同じことではないでしょうか。

では現政権礼賛かというとそうではなく、経済政策に関しては支持しないものもあります。特に金融緩和は行き過ぎている印象で、住宅の供給過剰などいろいろなひずみを生み出しています。
遅々として進んでいる様子が見えない特区戦略は、もっと規制を緩めてスピード感を持って実施してほしいと思います。(現場ではやっているかもしれませんが)
働き方改革も、現実には単に残業カットの押し付けになっているだけという問題も起こっているようです。

そういったひとつひとつの政策の功罪をチェックしたとき(全部ではなく、省庁やニュースサイトなどから得られる情報のみに基づいています)、現時点の政治家としては最もバランスがあるという判断をしています。
もちろんこれは私個人の見解であり、反対意見などいろいろな見方・考え方があってよいと思います。ここは本コラムの主要な論点ではないので、上記の政権評価の部分はスルーしていただいて結構です。


政治家は何で評価されるべきなのか
しかし、そうした個別の政策群とその進捗状況、及び結果の検証からなされる総合的な評価なしに、スキャンダルやゴシップだけで政権・政党全体の良し悪しを決めてしまうというのは、知的な判断力を持った人間のすることではない、というのは納得できると思います。

では、そもそも政治家という職業を評価する指標とは何か。
清廉潔白さでしょうか。もちろん一つの要素としてはあると思いますが、それは単なる生活態度や勤務態度のようなもので、それだけでは「職能」を測るには不十分です。
では政治家の職能とは何か。政策立案能力や政策運営能力ではないでしょうか。そしてその結果であるはず。

普通のサラリーマンであっても、業務上の成果はもちろん、リーダーシップや組織への貢献度などなど、様々な指標で評価され、昇進や昇給が決まるでしょう。そこには目標の数値目標やスケジュールのデッドラインなどもあるはずです。
ただ真面目なだけで結果を出せない人間が組織のリーダーになれば、その組織は衰退するであろうことは想像に難くありません。

そういえばかつてクリントン元アメリカ大統領も「不適切な関係」というスキャンダルで弾劾裁判に発展しましたが、アメリカ経済を強くした功績もあり、罷免は免れ任期満了まで続投しました。
フランスの大統領でもかつて、ミッテラン氏の隠し子騒動や、サルコジ氏の伴侶セシリア夫人のアメリカ駆け落ち、オランド氏と女優ジュリー・ガイエなど様々な恋愛スキャンダルがありましたが、お膝元のフランスメディアは一貫して、政治家の能力と私生活は別、というスタンスを取ってきたようです。

そしてこれはビジネスの場でも同じで、故スティーブジョブズ氏は社内で怒鳴り散らしていたという話は有名ですし、日本でも愛人がいる中小企業経営者はいるでしょう。しかしプライベートや勤務態度がどうであろうと、経営能力があるから社長でいられるわけです。
つまり政治家には政治能力を問うというのは、ごく当たり前のように思います。

では政治家の場合、いったい誰がそうした視点で評価をしているのでしょうか。
ひとつには野党がありますが、国会中継を見る限り、彼らはどちらかというと批判のための批判が仕事というか、ただあら探しや言葉の揚げ足取りのような追及が多く、客観的な評価はあまり期待できないなと感じます。(あくまで個人的な印象です)


メディアの報道は商品である
そこで国民に代わって政策のチェック機能として期待されるのがメディです。公約の進捗状況はどうなっているか、成果は出ているかなどを検証し、さらにはより良い政策を提言するのもメディアの本来の役割のひとつのはず。
しかし昨今は、国民の下世話な好奇心を満たせるテーマだけを掘り下げ報道する傾向が強いなと感じます(もちろん全てのメディアということではありません)。

ただそれはやむを得ないことで、ある程度は大衆に迎合しなければ販売部数や視聴率が取れないからです。
政策を評価し提言するような報道番組を作って、どれだけの視聴率が取れるかというと、ほとんど取れない。視聴率が取れなければスポンサーが付かず広告収入が得られない。だからそんな番組は駆逐される。
これは雑誌も同じで、電車内の吊り広告を見ると、いろんな意味で好奇心をそそられるコピーがずらり。

そしてスキャンダルやゴシップの方が売れるなら、よそに負けじと実家までおしかけて取材合戦を繰り広げることになります。
その裏では、もっと報道されるべき価値あるニュースがあったとしても時間枠やスペースがなく、短縮もしくはお蔵入り。
彼らにとってのニュースとは、食べていくための「商品」なのですから。


メディアのチェック機能のレベルは国民の知的レベル
また、ニュースや記事は、マスコミ企業に勤める一般のサラリーマンが作っています。
そこには当然、記者やその上司の好き嫌いを含めた個人的な興味関心・価値観も反映されますから、必ずしも公平・公正とは限りません。
ましてや彼らが、視聴者や読者よりも優秀とは限らないのです。

たとえば、前の東京都知事が辞職するきっかけとなった公費の私的流用疑惑の一連の報道で、彼はセコい人物という評価になっているようです。
しかしそれは、数万円や数十万円の使い道などと、記者会見や議会で質問する側のレベルが低いからです。追及する内容がセコいレベルだから、その回答もセコいレベルになってしまうのです。

一方、彼より2代前の東京都知事が作って潰した銀行の損失は1,400億円。なのに、なぜあまり追及されなかったのでしょうか。これだけの公費(税金)をドブに捨てても、何の罪も責任も負わない。連日報道される森友学園や加計学園の問題など足元にも及ばない規模なのに・・・。

それはおそらく追及する側に、1,400億という規模に思考が付いていかず、どう追及すればいいかわからなかったからでしょう。
一方、旅費や絵画のレベルであれば、記者の生活圏の範囲内であるし、国民もイメージしやすいから突っ込みを入れやすい・・・。

というのは憶測の域を出ませんが、政策も同じく、突っつく側の論点のレベルが低ければ、出てくる回答のレベルも低くなるのは必然です。(むろん、パナマ文書などのように、1枚の紙が国家を揺るがすこともないわけではありませんが・・・)

国家予算はおよそ97兆円もあります。
マスコミには、数百億円、数千億円、数兆円レベルの政策に突っ込みを入れていただきたいものです。大きな規模の政策のほうが、国民の生活に与えるインパクトが大きいからです。ただしそれを、国民が興味を持つか、理解できるかというとまた別の話ですが。


適切な後継者がいてこそ前任者を退陣させる意味がある
仮に自民党に下野を迫るなら、あとのことも考えて判断する必要があるのではないでしょうか。
つまり、自民党に代わって国家を運営できる力量を持った政党は存在するのか、ということです。

軍事政権や独裁政権による圧政で国民が苦しんでいて打倒するわけではないのですから、とりあえず辞めさせたはいいけど、あとを引き継ぐに足る能力を持つ人がいなかった、というのはあまりにも愚かでしょう。
米国が起こしたイラク戦争後、ますます治安が悪化し失敗だった言われるのも、政権崩壊後の戦後処理に対する筋書きが甘かったからとも言われています。

そこで、ほかに次期首相候補と言われている人を見たとき、安部首相ほどのリーダーシップを発揮し、多方面の政策を引っ張っていけそうな人はいるか。
他の野党のホームページで提言されている政策を見て、あるいは党首を見て、政治経済外交など広範に及ぶテーマを抱える「国家運営」を任せられるに足ると本気で思えるか。

そして民主党政権時代、彼らがいったいどんな政策を掲げ、どんな成果を成し遂げたのか、よく総括・評価しておかなければ、また同じことを繰り返すことになりかねません。
もっとも、あのときのおかげで自民党は猛省して勉強し、政権運営能力を高めたという評価もあるようですが。

そして、次を担う政権与党は、独自色を出すために前政権の政策を否定する可能性があります。
これは企業でも同じで、新社長が前社長の戦略を否定し新しいことをやって自分の評価を高めようとするのはよくある話です。
仮に自民党から別の首相が選出されても、やはり何らかの方針転換はあるでしょう。

もちろん、良くないものや効果のない政策は変えたりやめたりすべきですが、まだ進捗中で結果が出ていないものまで否定したり廃止したりすれば、今までかけてきたお金も労力も全部パーになります。そしてまた新しい政策が発表され、振り出しに戻り、ゼロからのスタート。そういったリスクも含めて判断する必要があります。

たとえば「ゆとり教育」も、一般教科以外の学習などを通じ「生きる力」を獲得しようというのが目的であり、それは本来学力では評価しきれないはずが、学力だけで評価してしまったために「失敗」と方針転換されました。
ある教師に聞くと「学校や教師自身が何をしていいかわからなかった」など、単に現場での対応が追い付いていなかった要素も大きかったようです。

そこでたとえば昨今のプログラミング指導などのように、民間の力も合わせながら運用面を改善するなど、もう少し長い目で見ても良かったのではと思いますが、「ゆとり世代」と揶揄される羽目になった世代は気の毒に感じます。


メディアリテラシーを高める
では私たち個人はどうすればいいのか。
個人ではマスコミの報道内容を変えることも、国民に「そんな番組は見るな」などという強制もできません。
できるのは投票に行くことくらいですが、現時点では圧倒的多数派の「大衆」には到底かなわない。

ひとつの提案は、自分で情報を取りに行き、自分なりに検証を試み、表層的なゴシップに惑わされることなく、冷静に評価をし、一人ひとりが自分なりの考えを発信していくことです。

もちろん、すべてを検証することはできないし、自分に直接影響のない政策の行方はわからない。
しかしそれでも、社会の動きに耳を澄ませ、わずかな変化を感じ取ろうとする姿勢を持つ。
あるニュースを、ひとつのメディアだけでなく、複数のメディアから横断的に考察する。

そして、もし自分が首相だったら、各省庁の大臣だったら、何をするだろうかと想像してみる。短期的なテーマと長期的なテーマは何か。何を優先し、何を後回しにするか。財源はどこから捻出するか。

すると、自分の目先の利益を確保してくれる耳ざわりの良い公約を掲げている人よりも、より公益的・長期的な視点で政策及び政治家を評価する視点が持てるのではないでしょうか。
私たちひとりひとりがそういう意識を持って選挙で投票すれば、清廉潔白さだけではない政治家選びにつながると思います。(現実的には望むべくもないかもしれませんが)
posted by 午堂登紀雄 at 12:57| Comment(0) | 午堂登紀雄の独断と偏見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする